ペットロス症候群(Petloss syndrome)と言う言葉があります。
私達はグレート・ピレニーズのはなこと名付けた娘と貧しくても楽しい毎日を過ごしていました。
そんな私達が深く愛した娘の、はなことの別れが突然やってきたのです。
お母さんの父である、山のおじいちゃんが亡くなり、おじいちゃんのお通夜と葬儀のために、
はなこを1日中家で一人ぼっちでお留守番させて置くわけにもいかず、他所に預けました。
お通夜も無事終わり、家に帰ったのは夜も遅くになり、疲れていたので休みました。
翌日の夜明けにお母さんが突然、急にお腹が痛いと言い出したのです。
痛そうにしていましたが、しばらくしたら嘘のように治ったのです。

朝食を食べている時私の心の中に、何か気掛かりになる事があり、はなこを預けたお店に、 はなこが元気でいるか電話をしました。 「元気ですよ」と何時ものような返事だったので何故かその時はほっとしたのです。 後になりお母さんのお腹が痛くなったのは、はなこが熱中症で気を失う時にお母さんに 助けを求めていたのだと思います。 意識が失われる前にテレパシーで苦しみながら最後に気力を絞ってお母さんに伝えたかったのだと思います。 お母さんが苦しんでいる時に、はなこの元に飛んでいってやれば、はなこは助かったかのかも知れません。 誰にも看とられる事もなく亡くなってしまったのです。 そしてそれが後になり、後悔の念に悩まされる事になるのです。
梅雨晴れ間の朝から暑い日でしたが、お母さんのおじいちゃんの葬儀場に向かうため車を走らせていました。 その時、突然携帯電話が鳴り、「はなこちゃんが亡くなりました」とのお店の人の声に、 「えっ」私の頭の中は真っ白になり、声もありませんでした。 朝の電話では元気だと言っていたのに、信じられない出来事でした。 お母さんが「如何したの」と聞きますが、私にはお母さんに「はなこが亡くなった」 どう伝えたらいいか一瞬考えましたが、隠しておくわけにもゆかず、「はなこが亡くなった」と伝えると、 お母さんも「えっ」それ以上私達に言葉はありませんでした。
葬儀場に向かっている最中に愛する娘が亡くなったと言われても2人とも信じられるものではありませんでした。 葬儀場に向かう道路は通勤ラッシュも終わった時間帯であったこともあり、道路はすいていましたが、 突然の驚きで前を見て車を運転しているのか何処をどう走っているのか、 分からない状態で走らせ葬儀場に到着したのです。 10時前に葬儀場に到着したので、葬儀まで2時間あったので、葬儀場にいたおばあちゃんや弟に はなこが亡くなった事を伝え、12時迄に葬儀場に戻る事を約束して、はなこの亡骸のあるお店へ向かったのです。 今考えると何処を如何走ったのか覚えていませんが、車の中では2人とも話す言葉もなく涙も出ないのです。
お店に着くとはなこは寝かされ横になっていましたが、まるで生きている様なその優しい顔にはよく見ると、 唇には既にチアノーゼが出ており紫色になっていました。 おじいちゃんの葬儀の為の喪服を着ているので抱きしめてやる事も出来ませんでした。 お店に着くまでは気丈にしていた、そんなお母さんの目に溢れた涙が一筋流れました。 はなこの亡骸を目の前で見てはなこが亡くなった事を実感したのでしょう。
はなこと一緒にいる時のお母さんは不思議な位に快活で話が大好きな元気なお母さんでした、 お母さんにとり、はなこは何物にも掛替えのない宝物だったのです。 何時ものお母さんではなく、傷心でいっぺんにやつれた顔のお母さんしかいませんでした。 はなこを撫でてやるとまだ暖かく硬直が始まっていませんでした。 温かい長い毛は手で触ると滑らかで生きているままでした。 ただ立ち尽くすお母さんと一緒に何時までもそこに付き添ってやる訳にもいきません。 本心は一緒に家に連れて帰りたかったのでしたが、そうはいきません。 おじいちゃんの葬儀の時間が迫っていたからです。 後ろ髪を引かれる思いでしたが仕方ありません。 はなこに付き添ってやれない事を心の中ではなこに詫びて葬儀場に向かったのです。
おじいちゃんの葬儀は親戚も近所の人も総出で盛大に執り行われたのですが、 身内でもおじいちゃんの娘であるお母さんは喪主の隣のおばあちゃんの横に座っていました。 式次第に従い葬儀が進行しますが、お母さんの目からは涙が止まりませんでした。 葬儀に出席していた人にはおじいちゃんが亡くなり悲しみの為に娘であるお母さんが、 涙を流しているのだろうと思った筈です。 本当は、おじいちゃんが亡くなったのは、勿論涙が出るほど悲しいのですが、 それよりも娘であるはなこが急に手の届かない所へ行ってしまった事が悲しくて涙が溢れていたのです。 おじいちゃんは胃ガンの手術をした後、お母さんは、毎週おじいちゃんの病院へ見舞いに行っていました。 だから、心の中には万一の場合の諦めと覚悟が出来ていたので、訃報を聞いても驚く事はなかったのでした。 何時かこの日があることを何時も思っていたからでした。 お医者さんはおじいちゃんには痛みがないように、痛みのコントロールをしていただきました。 おじいちゃんは病院から家に帰る時でも亡くなるまで、自分の足でしゃんしゃんと歩いたのです。 おじいちゃんには昔の人らしく気力があったのです。 体が痛くない筈もなくじっと我慢して耐えたのです。 お母さんはおじいちゃん子でしたから悲しくない事はないのですが、悲しい事は顔に出さず耐えたのです。
しかし、はなこの場合は違います、数日前に獣医さんで病院の3人の獣医さんと8人の看護士さんと 一緒に記念写真を撮ったばかりで、健康そのものですよと先生から言われたばかりでしたから。 何処も悪くはなく健康そのものだったのに、突然亡くなりましたと言われても納得が出来るものではありません。 苦しんでいるはなこを抱きしめてやる事も出来ず、さすってやる事も出来ず、誰にも看取られずに 亡くなった事を考えると余りにも不憫な娘に涙が止まらなかったのでした。 苦しんでいる事に気付いたなら、直ぐに獣医さんのところに駆け込んで治療してもらう事も出来たのに、 何も出来なかった事に悔いが残ったのです。 そして、おじいちゃんの葬儀も終わり、無事に火葬も終わり、葬儀場へ戻ると、家族も親戚も集まり中陰です。 中陰になっても本当はお腹が空いているのに何も食べる気持ちになれなかった。 頭の中にははなこの事があったからです。 そして、何よりも早くはなこを家に迎えて今夜は最後の添い寝をしてあげようと2人で 家に帰る道で話しながら家路に着いたのです。
愛する娘を突然失った悲しみは深いものです。 おじいちゃんが亡くなったのは、年明けに発覚した胃の痛みを病院で検査して貰ったことから、 胃ガンが発見され、手術でガンを切除したのです。 そして、高齢でもあることから、夏の暑さを乗り切れるか分からないと医者から家族が伝えられていたのです。 手術後に病院に入院したのですが、以外にも元気で桜の咲く頃には、はなこも連れて病院に見舞いに行きました。 見舞いの時間は、はなこが乗った車を日陰で風通しのよい駐車場に止め、しばらく待たせていました。 そんな時のはなこははなこ専用の後部座席で寝て私達を待っていてくれたものです。 夏が越せるか越せないかと、お医者さんから言われており、体力も落ちていたので、家族は覚悟していたので、 電話で亡くなったと聞いても、亡くなった悲しみはあっても驚きはありませんでした。 不思議な事がありました。それは、おじいちゃんは亡くなる前の7月3日の昼過ぎに、 暑かったのでアイスクリームを一口食べて眠ったのを見ておばあちゃんが畑に行った間に おじいちゃんが亡くなってしまったのです。それに気付いたのはおじいちゃんが可愛がっていたゴンタです。 雑種のゴンタはお母さんの弟が前に飼っていたペペが亡くなり、おじいちゃんもおばあちゃんも寂しくなったので、 連れてきた子です。 そのゴンタはおじいちゃんが死んだ事に気付き、声を振り絞るように畑にいるおばあちゃんに伝わるように鳴いたのです。 おばあちゃんがゴンタの異変に気付いて家に戻ってきたのですが、ゴンタは家の中に入ろうとはしませんでした。 犬は不思議な感を持っている動物なのです。
ところがはなこは元気なままで亡くなる時には腕の中で介抱してやる事も出来ず、 誰にも看取られずに亡くなったと思うと、不憫で涙が止まりませんでした。 そして、家に帰ると、はなこを家に連れて来て貰う様にお店に電話すると疲れがどっと出ました。 そして、はなこの顔の部分が透明な遺体収納袋に入れられたはなこの亡骸が家に戻って来て、 はなこを失くした実感がふつふつと湧き上がるのでした。
その夜、はなこと仲が良かったロッキーが別離に家を訪ねて来たのですが、何時もならはなこがロッキーに 自分の部屋におい出でとおい出でと誘うのですが、今夜は何時もと違う様子にロッキーは玄関で 足を踏ん張り如何しても家の中に入ろうとはしませんでした。 何時もと違う雰囲気に亡くなったはなこに気付き、はなこの亡骸を見たくなかったのでしょう。 玄関で別離をしたロッキーが家に帰ると、早々とはなこの訃報を知った近所の人が手向けのろうそくを 持ってきてくれました。 はなこは近所の人に可愛がられていたからです。お花を供えて上げてと持ってきてくれる人もいました。
そして、何時もの様にはなことの最後の夜は何時ものように、川の字になり添い寝をしてやることにしました。 お母さん、そしてはなこと並び窓側は私です。ビニールの遺体収納袋に入れられ、 綺麗な花に囲まれたはなこは保冷剤のために冷たくなっていました。 顔はまるで生きているように穏やかな顔で朝までまんじりともせずに添い寝をしました。 夏とはいえ夜風は冷たくても、はなこを思う気持ちは高ぶり2人とも一睡もせずに朝を迎えたのです。 最後の夜はあっけなく、朝が何時までも来ない事を祈っても無常にも時が刻々と刻まれ朝がやって来たのです。 月が沈み太陽が昇って来ると夏の朝は早いものであっと言う間に明るくなるのです。 時間が止まってくれればという2人の祈りは空しくも朝を迎えてしまいました。 2人とも食欲はないのですが、食べない訳にはいきません。口の中に朝食を摂ろうとしても食が進みません。 しかし、そんな事を言っておれません。 何故なら今日は昨日のお父さんの葬儀に続いて、2人が愛したはなこの葬儀をしなければいけないからです。
はなこを車に乗せて金沢の山の手にある大乗寺山の火葬場に向かったのです。 くねくねと曲がった道を登って行き、山の頂上から少し右に曲がって下ると、動物霊園があり、 そこではなこの葬儀をしたのです。 はなこは大きすぎて棺桶がなく、真っ白な特大のダンボール箱に入れて祭壇に飾り、 お坊さんの読経が始まり葬儀は終わりました。 次は火葬ですが、隣の部屋の火葬用の設備の中にはなこの入ったダンボールが入れられドアが閉まると、 点火されました。バーナーから勢いよく噴出する油の燃える音が辺りの静寂を破ります。 火葬の係りの人の話では、はなこは大きくこんなに大きな子は初めてだそうで、 2時間半はかかるでしょうとの話でした。 火葬場から出るとお昼でしたが、食事なんて出来る筈もなく、火葬場の外で火葬が終わるまで待つ事にしました。
はなこの葬儀 はなこが煙りになって
夏とは言え、前日のおじいちゃんの葬儀の日とは違い、降り続く雨の中の、 はなこを燃やして立ち上る一筋の煙に向かい、「生れ変わって私達の娘になるのだよ」と声をかぎりに呼びかけました。 そして、それに応えるように雨は更に降り続いたのです。 カナダのケベックでは雨が降ると、誰かが泣いていると言う言い伝えがあります、 まさに私達の愛する娘のはなこが星の国に旅立つ際に、はなこが泣きながら私達に別れを告げているのだと感じました。 きっと、はなこは生れ変わって私達の所に帰って来てくれるものと確信しました。 火葬場から煙が立ちのぼらなくなったのは、火葬が始まってから3時間後の事でした。
はなこは超大型犬で70kgもあったので時間がかかったのでした。 火葬の設備のドアを開けて出てきた、はなこの骨は病気もせずに亡くなったので骨は真っ白でした。 お骨をおじいちゃんの骨壷の倍位はありそうな大きな骨壷に、箸で拾った遺骨を入れながらも 不思議に涙が出なかったのは、きっと生れ変わって戻ってくるという確信が心の中に芽生えたからだったと思います。 広げられた真っ白な骨になってしまったはなこを見ていると、はなこに小言を云い気持ちになった。 心の中で「はなこ、お前は白い骨になるために生まれてきたのではないのだよ、 お母さんの愛する娘になるために生まれて来たのだよ、だから早く生れ変わって戻ってくるのだよ」と呟いてしまいました。 その夜は2人とも疲れからか、はなこの夢も見ないでぐっすりと寝込んでしまいました。
翌日は、昨日のはなことの別離の雨が夜半に降り止み、何処までも青空が続く夏空となりました。 朝から何もする気も起こらず、朝食の間もお母さんとの間には会話もありませんでした。 黙々と食べるだけです。はなこがいなくなり2人に会話が無くなってしまったのです。 そして突然、思いたったのは、2階の祭壇に祭った、はなこの大きな骨壷の遺骨を小さな壺に少し残し、 増穂浦の渚に散骨しようと思ったのです。 お母さんに増穂浦にはなこの遺骨を散骨しようと話すとお母さんもここ2、3日の疲れと悲しみが 残っていたのですが、行く事に賛成してくれました。 そして、はなこの遺骨と一週間前に亡くなったはなこを生んだユキ母さんの遺骨も少し貰ってあったので、 一緒に散骨しようと増穂浦に向かいました。増穂浦へは能登海浜道路を車で走ると1時間半ほどで到着です。
増穂浦は能登半島の日本海側の痩せの断崖の手前にある風光明媚な海岸で、渚の白砂と青々として松林、 そして透き通った夏の海に、何処までも続く青い空がはなこを迎えてくれました。 春先にはなこと一緒に来た時には沖から吹く風に乗り、ピンク色の桜貝が流れ着く事で有名な海岸には 貝拾いの人がいましたが、海水浴にはまだ早いのでは誰もいません。 人影の絶えた海岸には、寄せては返す透き通った白波の所為か、渚が少し白く泡立っているだけでした。 増穂浦のコテージの右側を行くと、1番端の屋根の付いた休憩場があります。 そこの前の砂浜が先住犬であった、たろうちゃんの遺骨を散骨した場所でした。 はなこの遺骨もそこに散骨するのです。 サクサクと宵待ち草が咲く砂浜を歩くと直ぐに渚に出ます。 砂浜で骨壷からはなこの白い遺骨を少しずつお母さんと一緒に寄せては返す波に黙って撒きました。 寄せてくる波に白い骨は直ぐに砂に埋もれてしまいました。 白波により砂に埋まってゆく遺骨を写真に収めました。もう二度と同じ写真を撮る事が出来ないからです。 この砂浜には毎年たろうちゃんの遺骨を散骨したので毎年たろうちゃんの冥福を祈りにきていたので、 はなこも何回もここに来ていました、それがこんなに早くここで眠りにつくなんて考えもしませんでした。 この海岸の沖合ではマダイの養殖をしており、時折港から船が出たり入ったりしています。 のどかな海岸で聞こえる唯一の音が船のエンジン音なのです。 青い空には入道雲が夏の空を飾るように湧き上がっていた。 2人は黙りこくったままで、持参した手向けのお花とはなこが大好きだったおやつを白波に撒いて、 また、逢いに来るからねと伝え、今まで本当に有難うと感謝し安らかに眠りにつく事を願い、 家路に着く事にしました。 増穂浦から家に帰る車の中では能登海浜道路を走っていても2人に会話はなく、ただ黙りこくるだけでした。
思いおこせば、はなこと私達の出会いは今から11年前になるのですが、 お母さんは前に飼ってたろうちゃんが老衰で亡くなり、もう2度と犬は飼わないつもりだったそうですが、 それまで世話になっていた獣医さんから大型犬がいるお店の話を聞きそのお店を訪ねたのです。 そして、はなことお母さんとの出会いは、はなこが生後5ヶ月で母犬のおっぱいを吸っていた時でした。 はなこの兄弟は全部で9頭いたのですが、皆、他所に貰われて行き、 はなこと、マヤちゃんの2頭だけが残っていたのです。はなこはその時には25kgにもなっていましたが、 まだ赤ちゃんで母犬のおっぱいを吸っていたのですが、はなこがお母さんに媚びる様に、 じっと見つめ、ケージに駆け上がる様なポーズで、「抱いて、抱いて」と叫びながらアピールしたそうです。 その時です、はなことお母さんの目が合ってしまったのです。 はなこが甘えた目でお母さんに向かって「連れて行って」とキャンキャンと鳴いたらしい。 お母さんはお店の人に「この子にするわ」と決めたのです。 「この子でいいのですか、目がちょっと斜視なのですけど」 「この子でいいわ、子供にして欲しいって私に訴えたから」 「この子は母犬に5ヶ月育てられたから、母犬から病気にたいする免疫も貰っているので大丈夫です、 他の犬と一緒に生活させているので、汚れていますのでトリミングして洗いますから、 しばらく待って下さい」お店の人がいいました。 そして、はなこはお店でトリミングをして、お風呂で綺麗に洗って貰いお母さんと家に帰ったのです。 何人もの人がピレを買いに来たのに、誰もはなこを選んではくれませんでした。 今から11年前にはピレニーズは純白に人気があり、はなこはマーキングで耳の周辺は薄い茶色でした。 そして、少し目が斜視だった事もあり売れ残っていたのだと思います。 はなこはお店から里親に迎えられても気位が高く、誰にも懐く事はなく、結局はお店に戻ってきたのです。 そして、お店も売れ残り大きくなってしまったので、、母犬の様にショードッグにしようと考えていたらしいのですが、 お母さんに初めて出会い不思議にもお母さんに懐き、一緒に生活するようになったのです。
当時のはなこは5ヶ月でしたが、ピレニーズの子犬の時代には成長も早く、体の成長と骨の成長が合わなくて、 成長痛が出て、歩くのもやっとの時もありました。 こんな成長痛が出ている時に無理をすると股関節の脱臼を起こすのです。 お母さんは散歩の時には、はなこに気を使っていました。 はなこが散歩の途中で疲れ、道路に座り込んだ時など、30kg近くにもなった時でも、 はなこを抱き上げて道路を渡ったらしい。 夜中にはなこが母犬を恋しがってピィーピィー夜泣きしていたはなこをお母さんは 毛布で包み抱いて寝かせた事もあったらしい。 はなこが売れ残っていたのは、マーキングだった事と、目が斜視だったからですが、 お母さんは毎日根気よくはなこの目の前で指を動かしはなこの目が斜視でなくなる様に訓練してくれました。 その甲斐もあり、はなこの斜視は治りました。
私との出会いは、もう10年前になります。はなこがお母さんに育てられていた頃、私は中国にいたのです。 そして、お母さんからグレート・ピレニーズを飼った話を電話で聞きました。 電話の向こうから「ワンワン」とはなこの鳴き声が聞こえてくる時もありました。 忘れもしないはなことの初めての出会いは、中国の仕事を終えて日本に帰国した時でした。 さて、いよいよ、はなことの初めての対面です、ドアの向こうからはなこが来るのです。 私の心臓はドキドキと高鳴っていました、はなこはその時には40kgもある超大型犬になっていたのです。 はなこに逢いたい、怖い、そんな不安な気持ちではなこが来るのを待ちました。 その時です、白の大きな犬が連れられて出て来たのです。 その犬は映画で見た、「ネバーエンディング・ストーリー」の「ファルコン」そっくりで、 その瞬間的に「ファルコン」だと思いました。そして私の所に一直線に向かって来たのです。 私は思わず両手を差し出しました。すると、そんな私にはなこがすりよって来て、私の手をペロペロ舐めたのです。 私がかがむと、はなこは私の頬にキスをしてくれたのでした。はなこは知っていたのです私の事を。 なぜなら、お母さんが私に電話している時に私の声が電話口から聞こえて覚えていたのです。 怖いながらも両手を差し出したのが私に出来る最大のはなこに対する挨拶でした。 初めて会ったのに、以前から知っていたかの様に私に甘えるはなこに親近感を覚えたのです。 そして一緒に生活することになったのです。 その年は雪も多く降りましたが、夜明けの雪が降る中を一緒に歩いたものでした。 それからの私達は何時も一緒で、旅行に行くのも寝るのも一緒だったのです。 思い出すときりがない位一緒に楽しく過ごしたものです。
そんなはなこが突然旅立ってしまったのですから、心の準備もないままだったので、 2人はただ茫然と数日すごしたのです。 2階の部屋を「はなこの部屋」と名付けてドアに「はなこの部屋」と書いた紙を貼り、 パソコンの横に小さな祭壇を祭り、お花や水等のお供えを飾ることにしたのです。
冷静になって考えてみれば分かる事ですが、私達にとり一番深い感情が込み上げる瞬間は 愛するものとの別れの時かもしれません。 犬を飼う以上、必ず訪れるのが愛する愛犬との別れです。犬の一生は人間の一生と違い短いものです。 長生きした犬でも20年余りで、大型犬ならその一生は短くて10年余りで別れがやってくるのです。 グレート・ピレニーズでも16年も生きた子もおり、この子などは珍しく長生きした方です。 頭の中では分かっていても別れを思い出すと辛くなるのです。 初めて犬を飼おうとしている方はあらかじめ知っておきましょう。 「ペットロス症候群」という病気があることを。ペットロス症候群とはこれは人間の心の病です。 一緒に過ごした愛犬を突然失ったことにより、深い悲しみにおそわれ、 何時までも泣き、不眠、食欲不振、胃の痛み、息苦しさなどの症状が現れる精神的な病気です。 もしも、ペットロス症候群になってしまったらこの病気が治る飲み薬や注射はありません。 ある日突然、愛犬との別れた事により病気になる精神的な病気なのです。 どれだけ文明が発達しても、人間の精神レベルは2千年も前の精神とそれほど変わりないのです。 もし、このようなペットロス・シンドロームに陥ってしまったら、まずは起きてしまった現実を 素直に受け入れるしかないのです。頭の中で理解していても人間はそんなに簡単に割り切れるものではありません。
・愛した娘の旅立ちを受け入れる ・仲よしだった友達に話を聞いてもらう。 ・愛した娘の思い出の写真を身近に張ったり整理をする ・新しい子犬を飼う ・旅立った娘を弔う
私達に宿命というものがあるのであれば、それは私達とはなことの運命だったのだと思います。 暗い夜も月が沈むと、やがて太陽が昇り夜が明けると朝になります、 昼が来て太陽が沈むとまた暗い夜になるのです。 地球上には毎年のように季節が巡り、寒い冬が終わると春が来て、暑いはなこが旅立った夏がやってきます。 そして、秋が来ると次には冬がやって来るのです。そして、悲しみも決して何時までも永遠には続かないものです。 私達は、はなこが旅立ち悲しみのどん底にいました。しかし、それ以上に悲しむことは起こらないと思いました。 前向きに考える事で私達は悲しみから離別したのです。 私達のはなこに対する深い愛情は、砂上の楼閣のように寄せて来る白波に崩れ去ったのです。 悲しみは砂浜の城と同じで、いつまでも残り続けることはありません。 白波で崩れなくても、雨や風や波により、やがて砂浜の一部に戻り砂に戻るのです。 はなこの遺骨も風光明媚な増穂浦の渚に散骨したので、いずれは砂に帰るものと思っています。 涙は悲しい時だけ流れるのではなく、嬉しいときにも流れ落ちます。 感情が極まったときに流れるのは、生きている証の輝きです。
新しい生命が宿った時や、大事な人やペットが亡くなった時にも、涙は流れ落ちます。 涙は、あなたが魂の真実に触れたときに溢れるのです。 そして、あなたが、最も人間らしい瞬間に涙は流れ落ちるのです。 私達との出逢いが運命の出逢いなら、この悲しい別れも運命の別離かも知れません。 私達には生まれる日から、死ぬ日までのすべてが決まっているのかも知れなく、出逢い、そして私達との別れることも。 私達が悲しんでいたのは、はなこに対する愛情が深かったからです。 泣いても、泣かなくても、はなこはこの世にはいません。 私達の人生には何人も逃れられない現実があります、どれだけはなこが亡くなった事を否定しても、 はなこは生き返りません。だから、泣かない事にして、悲しまない事にしました。 はなこと一緒に生活した事をいい想い出にする事にしました。 はなこの事がいい想い出に変わったとき、私達は試練を乗り越えられたのです。 外に出れば燦々と照らす太陽の光は眩しく、吹く風は穏やかに、木々の小鳥は歌い、花は美しく感じました。 私達は、はなこに似たグレート・ピレニーズを飼う事にしました。 はなこは人間の言葉を話す事は出来ませんでしたが、私達に無償の愛情を惜しみなく振りまき、 一緒に生きることの喜びを一杯くれました。
この世には悲しみを経験しない人はいません。どんな人でも1回や2回は悲しみに耐えて生きてきたのです。 小さな動物に対する慈しみの心ははなこによって培われました。そして、優しくなることが出来ました。 はなこ、私達の子供になってくれて本当にありがとう。私達もいずれは死を迎える事になるでしょう。 でもはなこのお陰で死ぬ事への恐怖などは微塵も有りません。何故なら愛したあなたに会えるのですから。 私達が星の国に行くまでは、おじいちゃんやユキ母さんやアイおばさんと仲良く遊んでいて下さいね。 そんな事を祭壇のはなこの遺影に呟いている私達です。 私達は愛犬の旅立ちを受け入れて、ホームページに愛する娘であったはなこの事を忘れないためにもアップし、 新しく生れ変わりの子を迎える事にしたのです。 少しずつ心と気持ちの整理をしながら、毎日を過ごすしかないのです。 そして、大事な事は悲しんでばかりいる両親の事を、旅立ってしまった愛犬も、 決してそうは望んでいないものと思うからです。 そして、新しい子を迎え慈しむ事こそ、それが何よりの愛した娘に対する供養だと思いこむ事にしました。 さあ、元気を出して新しい仔を迎えて、今は楽しい思い出となったパピーの頃のドタバタ騒ぎを始めるのです。 それが二人にとり何よりのはなこに対する思い出と感謝の日々につながるものと思います。 ペットロス症候群に悩んでいる人に私達のように立ち直って欲しいものと書き綴りました。